尼崎BLANTON、閉店前夜に──30年の歩みと「歌は手紙」という気づき
時は少し遡る。兵庫県尼崎市のライブハウス・BLANTONが5月に閉店し、34年の歴史に幕を閉じた。学生時代からこの場所でステージに立ち続けてきた花*花の二人にとって、ここは「実家以上に長くいた場所」だ。インディーズ時代、メジャーデビュー、活動休止、再始動、独立、そして大手事務所への移籍──30年の歩みを振り返りながら、二人が辿り着いた「歌とは何か」という答え。
BLANTONとの出会い
── 今日入ってきたときの第一印象は?
おの:ドアの取っ手が壊れてるやん!
こじま:確かに、取っ手が壊れてたわ。閉店するから?(笑)
おの:でも、中はね、私らが来始めた30年前とほぼ変わってないから、非常にタイムスリップ感あるよね。
こじま:変わってないっていう。
── 前に来たのが2年前くらい?
おの:2年くらい前やね。MV撮らせてもらった、ここで。
── そのMVはファンの人からどんな印象があったんですか?
こじま:コアなファンの人とか、ここにずっと出てた人は「あれ?」みたいな。
おの:「この角度はもしかして」ってわかると思う。ピアノの感じと後ろの石の感じ。
こじま:だからやっぱりびっくりしちゃうと思うよ。閉店は。
おの:「ここで花*花を初めて見たから」って言って、最後のライブも来てくれる人もいるし。
「うちでもやって欲しいわ」── 学生時代の出会い
── BLANTONと花*花の縁を聞かせてください。
おの:全然、花*花って名前じゃなくて、学生のとき。西宮のイエロージャケットやったかな。そこでライブしてるときに、BLANTONのオーナーの五位塚さんが見に来てて。
こじま:「うちでもやって欲しいわ」って言うて。
おの:「尼崎でライブハウスやってるんやけど、うちでもやってくれませんか」って声かけてもらって。だから在学中、学生のときに来始めた感じ。最初はお客さんなんて全然おらへんかったよ。
── その頃の名前はRINSE(リンス)?
おの:そう、RINSE。今日の本番もRINSEでやろうかな思ってた(笑)。
インディーズデビューまで
── そこからオムニバスアルバムの参加になるわけですよね。
おの:わりと早かったな。BLANTONの周年ごとに出してたオムニバスアルバム。私たちが収録されたのはVol.2だから、2周年の時か。たまたま学校で録音実習した音源があったから、それを入れてもらった。
こじま:改めて録り直してないんよね。学校で録ったやつ。
── 「ずっと一緒に」ですよね?
二人:うん、「ずっと一緒に」。
── もうその頃から名曲があったわけですよね。
おの:あった。学生のときにやってた。98年?もっと前、95、96年に録音してる曲。30年歌ってるよな。今でも歌ってる。今日やろっかな。
── そこからオムニバスアルバムを経て、当時のインディーズレーベルの人が聴いて声がかかった?
こじま:あ、それはもうちょっと後やねん。BLANTONに対バンの子を見に来てたインディーズのレーベルの人が、私らを気に入ってくれて。オーナー通じて「一回話がしたい」ってオファーがあって。
おの:全部ここや。
こじま:そう、全部ここが始まりや。
── そこから一度は断ったんですよね?
おの:怖いと思って。「騙された」とか、そういう話がいっぱいあったから、「怖い怖い」って言って。
こじま:「CD何枚作るんですか」って聞いたら「1000枚くらいかな」って言われて、「1000枚も買取りできません」って。
おの:「あいつ絶対怖いやつや、ネクタイしてるやつは信用ならん」って言って断った(笑)。でも2回目に来てくれて、「お金いらんし、CDは僕らが売るんで、1枚ぐらい思い出に作るみたいなノリでどう?」って。
こじま:その間にずっとお母さん(BLANTONオーナーの五位塚氏)が入ってくれてた。レーベルの人と喋るときも、「怖いから一緒に立ち会って」って言ってここで会ってたから。そしたら、お母さんが「大丈夫ちゃうか」って言ってくれて。
── それで花*花になるわけですね。
おの:インディーズでデビューするときに、似たような名前のグループとか、ロック系のバンドにそういう名前がいっぱいいるから、「ちょっと名前考えへん?」って言われて。
こじま:明石のショッピングモールの喫茶店で考えた。
── なんで花*花だったんですか?
おの:あんまり英語のかっこいいのとかは嫌やなと思って。RINSEもダサいし嫌やなと思って。(笑)でもRINSEやったら危なかった、今もうリンスって言わへんし。で、女の子二人やし、花二つで、花*花みたいな。
こじま:こんなに長くやると思ってなかった。
おの:「花」も中華の「華」やったらパンダみたいやし、素朴な方でいいかって。そんな感じで決めた。
── レーベル入りも、誰かが何かを言って「やってみたら」みたいなのがあったんですか?
おの:全部「やってみたらー?」やね、いろんな人の。BLANTONのお母さんも「大丈夫ちゃう?思い出に1枚作ってもらおうか」ぐらいの感じ。だから「よし、やるぞ」みたいな感じじゃ一切なかった。
「圧倒的ホーム感」── BLANTONという場所
── BLANTONが二人にとって、他のライブハウスと違うところは?
おの:圧倒的ホーム感じゃない?他のとこは「お邪魔します」って感じやし。定期的にやるようなライブハウスはなかったけど、ここだけはずっとやってた。
こじま:一時期、実家より長いことおった(笑)。
おの:遅くなって家に帰られへんようになって、BLANTONのお母さんとこに泊まったりしてたもん。他とは圧倒的に違う、そういうホーム感とか、実家感。うん、実家。
こじま:だからなくなるって聞いて、実家がなくなるみたいな感覚。
── ファンとの距離感、温度感みたいなものは、メジャーになって大きい会場でやるようになってからと、ここのような場所と、両方経験している中で、ここならではのものってありますか?
おの:ここは距離とかないから!
こじま:ゼロ距離やん(笑)。
おの:手伸ばしたらお客さんピアノ弾けるから(笑)。
こじま:大きいところは2人だけの力じゃないやん。照明さんとか音響さんとか、いろんな人の力で一緒に作っていくもの。ここってほんま、もちろんPAさんもいてくれるけど、ここはほぼ2人で作るから、お客さんの一挙手一投足が全部わかる。例えばバラードで、グラス置いたらその音が邪魔するとか、お客さんもわかってるから、置かずに聞いてくれてる時とかがあるんよ。物音立てられない、くしゃみもできないみたいな空気感も含めて、全部の空間をこっちで作れる唯一の場所かもね。
おの:それがゼロ距離で行われる(笑)。
こじま:それを最初に学べたのはすごい良かった。
3.12 ── 震災翌日のライブ
── BLANTONで印象的だったライブ、忘れられない日って?
おの:3.12かな。
こじま:そうやなぁ。
おの:東日本大震災の翌日がライブやった。朝8時ぐらいに電話して、「どうする今日」って。「来られへん人もおるかもな」って言って。「それやったらチャリティみたいな形にしてやろう」って。売り上げ全部寄付。賛否あると思うけどやったんよな。最後の曲だけ生歌・生音でうたったな。お客さんにキャンドルを持ってもらって、電気も消して。
こじま:自粛とかで電気がドーンって点けられない雰囲気やったから、音響機材も一切使わず、全部アコースティックで。
その時の写真はファンサイトに載せたと思う。あれから何年かは、震災前後の時期にここでやってたね。
ここで生まれた曲、ここでしかやれない曲
── BLANTONやからこそやる、みたいな曲ってあります?
こじま:あるある。もう絶対他でできへんやつ。ここのために作られてる曲。
おの:「LIVE at BLANTON」って、いつもオープニングでやってた曲。BLANTONって名前が入ってるから他ではやらへん、できへん。
こじま:あと「a lot of money」って曲も。何回もレコーディングの話もあったんやけど、歌詞にスーパーハイブランドのブランド名とか入ってるからそのままじゃリリースできんくて。でも、歌詞を変えるみたいなしょぼいことはやりたくないなと思って。これも、ここだけで楽しめる一曲かな。
おの:お客さんも当然今日は期待してくれるから、ここでこそ現れる曲。
── ここで生まれた曲は他にもいっぱいある?
こじま:ケーブルテレビのレギュラーもここでやってたし。
おの:「〜こたつと毛ガニの巻〜」とか最初の方の曲は、それこそここで生まれた。お題でパッて曲を作る企画があって、その番組でできた曲を、そのままインディーズの一発目のシングルにしてる。どうかしてるよね。
こじま:なめとんな(笑)。しかもテレビ局に行くんじゃなくて、ここに来て収録してたから、別に何も緊張しないし、好き勝手やれてた。懐かしすぎる(笑)。
おの:ここで生まれた曲が、最初のインディーズのアルバムにも入ってるし、メジャーデビューと同時に出した「11songs(+4)」っていうアルバムは、インディーズで作ったアルバムにプラス4曲入れて出してる。だからほぼここ。
メジャーデビュー、そして紅白
── メジャーデビューは2000年7月。紅白も出て、僕から見てもすごく忙しそうでした。あの頃の二人に、いまの自分から一言かけるとしたら?
おの:「君たちがいるから今がある」って感じ。
こじま:「よく頑張ったな」って。
おの:「もっと楽しなるで」って言っときたい。あのときしかできなかったこともあるけど、あれがあったから今できていることが結構あると思うから。「後々楽しなるから頑張れ」って今なら言えるかな。
── メジャーでやっていく流れの中で、音楽業界みたいなふわっとしたものを極力避けようとしてた。
おの:もともとそこを目指してなかったしね。
こじま:もともとそうだし、忙しいの嫌やし、東京遠いし、偉い人いるわ、怖いわ、めんどくさいわ、っていうのがずっとあったかも。でもそれって社会勉強やったと思う。
おの:誰にも何も教えられないままそこに飛び込んでしまったから、毎日わからへんことだらけやったもんな。
こじま:どこに行くかもわかれへん。聞いてもなかったけど(笑)。でも、頑張っといてよかったかなとは思う。
おの:経験値は上がったね、あの2年ぐらいで。
── 環境が変わって、楽しくてやってた音楽が仕事としての比重が大きくなって、向き合い方が変わっていく。二人にも音楽に対する感情が揺れ動くときってなかったんですか?
こじま:嫌なことって音楽そのものじゃなかったよね、その周りのことよね。作ることとかライブすることは、そんなに今までと大きく違うっていうわけじゃないというか。
おの:一人やったらめっちゃ変わってたと思う。
こじま:「音楽嫌いになりそう」って思った時もあったけど、「いや待てよ、これは別に音楽が嫌いなんやなくて、この現場の空気に飲まれそうな二人が嫌なんや」っていうだけで、音楽が嫌いなわけじゃないよなって。
おの:幸い「こういうものを作りなさい」とかは言われたことがなかった。だからそのとき必死に絞り出して作れるものを作ってる、って感じやった。当時は本当に忙しかったし作るの大変やったけど。
こじま:それ言われてたら、もっととっくにやめてた。「作りたいから作ってんねん!」みたいなことでずっと来てるから、作らされるみたいなのはできへんから。それは言われへんくてよかったなと思ってる。
「さよなら 大好きな人」
── 「あ〜よかった」はインディーズからの曲ですよね?「さよなら 大好きな人」は?
こじま:もっと前。
── もっと前?
こじま:出会う前。
おの:私が出会う前の曲。私が出会ったときにはあった。「亡くなったおじいちゃんのために作った」っていうのは、メジャーデビューして、リリースしてインタビューで初めて知ったから、「えーっ」てなって。
こじま:え、その前知らなかった?
おの:知らんかった。本人もあんまり言わへんし、私も聞いたりせんから、「こんな曲あんねんけど」としか聞いてなかった。
── インディーズの時にもやってたんでしたっけ?
おの:やってる、やってる。ここでもライブでやってた。
こじま:でも、パッとみんなが聴き止まるような曲じゃないと思ってた、ぶっちゃけ(笑)。
おの:あの秀逸なアレンジやな。
こじま:あとドラマでみんなが急に聴くようになったからちゃうかな。
おの:ドラマのために書き下ろしたわけでもないし。有名なTBSのドラマプロデューサーさんがこの曲をすごく気に入ってくださって、ドラマ『オヤジぃ。』の主題歌になった。
活動休止、そしてそれぞれの時間
── 2003年に活動休止しますよね。改めて理由を聞いてもいいですか?
おの:事務所がなくなったから(笑)。この場所で私たちに声かけた会社がなくなりますっていうことになって、「どうする?」「休む?」ってなって。
── そのあとメーカーに二人で挨拶に行ったりとかしてましたよね?
おの:レーベル預かりっていうのも可能やったんやけど、事情が事情やからって、円満解除してもらえた。だから「じゃあ一回休みましょう」っていう感じ。「うちで窓口やりますよ」みたいに言ってくれる所もあったけど、全部断った。
── 休止後、こじまさんは結婚と出産があって。おのさんは先生やったりしてましたよね?花*花としての音楽と、それぞれが自分のスタンスで動いてた時間。それは花*花の活動と比べてどうだったんですか?
こじま:ソロでもここでライブやらせてもらってたし、ソロのアルバムもBLANTONのお母さんとかここのスタッフに手伝ってもらって作った。ここで一人でライブやったときに、メジャーでBLANTONを離れていた空白の間に、BLANTONに出演していた知らなかった関西の後輩アーティストの子たちがいっぱい声かけてくれて、「一緒にやってもらっていいですか」って言われて「じゃあやろう」って。それで、その空白の時間も埋められたというか。
おの:私は休みに入ったときに音楽を「やらへん」って選択をしてん。そもそも音楽私好きなんかな、って思って。あえて聞かない・やらないっていう時間を設けたのよ。半年ぐらいは教えるとかもやってなかったし、聞いたり、歌番組も一切見なかったし、音楽も一切聞かなかった。音楽がない生活をしてた。
── そこから先生になるきっかけは?
おの:「やってみない?」って言われたのがきっかけ。「やりましょうか」って言ってやったんやけど。あとは、ちょっと友達に誘われて見に行ったライブがめっちゃ楽しかった。「音楽って楽しいやん」ってもう一回思えたから、先生もやろうと思えた。そこでそう思ってなかったら、もうやってなかったかもしれない。タイミングやな。「私、音楽好きかも」ってもう一回思えたから、今に繋がってます。
── 思ってもらえてよかった(笑)。
おの:自分がやるってことに対しては、向いてると思ったことはまだ一回もないけどね(笑)。
再始動、そしてCDとサブスクのこと
── そこから6年経って、2009年に花*花が再始動。その6年の間にiTunesが出たりサブスクが出たり、音楽の聴き方が変わってきていて。アーティストとしてその変化はどうでしたか?
おの:え、「シャッフルすんなよ」とか思ってたよ。「色々考えとんねん、こっちは」みたいな。
こじま:(笑)
おの:「(アルバムには)ストーリーがあんねん」って。あと「一曲で買えるとかなんなん」とか最初思ってた。一生懸命曲順考えとんねんって。
── 今でもCDで出したいっていうのはありますよね、サブスクがあっても。
おの:配信で1曲ずつ買えるようになってからもCDは作ってる。企画モノで作ってないやつもあるけど、ちゃんと作ってる。
こじま:ファンの人もやっぱり同じ世代の人、ちょっと上やったりちょっと下の人が多いから、同じ気持ちでいる人は多いと思う。
おの:物が欲しいよね。
こじま:CDは聴くものの媒体でもあるし、グッズでもある。歌詞カードであったりジャケットとかは、グッズとして楽しい。私らもそうやし、誰かのを買うときもグッズとして楽しいし、お楽しみが2つあるわけやから、持っといた方がいいんちゃうかなとは。
── これからもCDは出したい?
こじま:もうなんならアナログ出したいもん。だってもう飛ばしてほしくないから。この世代の次からアナログの方が売れるかもしれんね。
おの:ほんまに。この辺が3曲目とか、針を落としてたやん、レコードって。「あれちょっとちゃうかな」とか思いながら、ひっくり返して、曲順を考えたり。
こじま:配信かアナログ、みたいな時代が来るかもしれない。もう来てるかもしれない。最近でもカセット出るもんね。
おの:演歌の人とか絶対カセット作るし。だからCDもなくなりはせえへんかもやけど、作る数は減っていくかもしれない。30年後ぐらいにめっちゃCDブーム来るかもしれないし、わからん。
自立した10年
── 2020年に独立して、すぐコロナ禍に入って。活動を再開してから独立する前も独立してからも、花*花ってずっと同じスタンスっていうか、ここBLANTONだったり、東京だとBYGだったり、自分たちが愛した箱を大事にしながらライブをやってきたイメージがすごくあって。その変わらずにいられるのって逆にすごいことやと思うんですよ。再始動から2020年までの10年を総括したら、二人にとってどういう10年でしたか?
おの:自立。メジャーのときは与えられてた、「今日はこれに出ます、今日はここに行きます」って。それを、再始動からの10年は自分たちで選んでた。
こじま:「あそこ行きたい」「ここでライブしたい」とか。
おの:この仕事をやる・やらへんも自分たちで決めてたから、ある意味自立したようなイメージはあるね。自分たち主導になった。
こじま:「行きたい」って言ってる場所がいつも変わらずに迎えてくれたっていうのは、本当にありがたかったなって。
おの:そういう場所がずっとある、一つでも二つでも出会えてることは、もしかしたらめっちゃラッキーかもしれない。
こじま:うちらが変わらへんかったのは、変わらんと待っててくれた場所がいっぱいあったから。じゃないと無理よね。
おの:6年休んだら、ぶっちゃけ忘れられてるわけよ。「そういえばおったな」みたいな。だから休むって、今思ったら結構なことやったな。軽く休んでしまったけど。いや、軽くはないし事情はあったけど、怖って思った。時間は流れるからさ。10代の子は「お母さんが聞いてました」とか。だからずっとやり続けてても、若い子が興味なかったら見えへんし、それはそういうもんやし。その休みがあったから自立できた。再始動したからって、そこからずっとまた続けるとも話してなかったよ。
おの:再始動しましたっていうニュースを新聞でちょっと出してくれたから、当時のワーナー時代のスタッフさんが再始動ライブやったときにめっちゃ動いてくれて。「やるんやったら手伝う」って言ってくれた人が、頼んでないのにいっぱいいたから、ちょっと記事になったりして。そこからまたちょこちょこお仕事をいただいて。
こじま:ご好評いただいて(笑)。「ほな次やろうか」「ありがとう、じゃあまた行こうか」「あ、そこも行ってないな、ほな行こうか」って言ってると、こんな感じで。
おの:もう10年経ってた(笑)。
こじま:恩返しかなと思ったね、特に2020年からは。
おの:そのときまで変わらずにいてくれた人とか、ずっと来てくれてる人もいっぱいいるし、初めてライブに来ましたっていう人もいっぱいいるし、ありがたい。
サンミュージックへ── 大手事務所への移籍
── この3月に大手事務所に移籍しましたね。何か大きなことをやりたいとか、明確にあって?それとも自然の流れで?
おの:2020年から出版でお世話になってたんですよ、サンミュージックで。アットホームな会社やし、社長、今は会長か。当時お世話になり始めたときは社長やったけど、すごく朗らかな方で、家族みたいにアーティストとかタレントさんを見てはる人やから、私たちも合ってたというか。いつも事務所に行くと「今日は取材ですか」とか話してくれたり。サンミュージックさんはほっこりしてる。BLANTONと一緒、家っぽい、家族感。大手の会社なのに。
こじま:いい距離感の付き合い方をさせてもらえている。
おの:事務所からできることもあるだろうし、私たちが今まで知らないところもまた開拓できるんではないかと思ってたり。
「歌は手紙」── たった一人の誰かに届けるということ
── ここからが本題なんですけど。
おの:今から本題なん(笑)?
── 昔から花*花には「歌は心で歌うもんや」っていうのを感じてるんです。
おの:ええこと言うやないの(笑)。
こじま:言ったことないけど(笑)。
── 歌っていうものを二人に聞きたい。おのさんにとって歌って何ですか?
おの:歌か……音楽じゃなくて歌?
── そう、歌に対して。
おの:お手紙です。「こんな言葉を書いたらかっこいいでしょ」とかじゃなくて、「こう思ってますね」っていうことを書いてる。それが誰か特定の人がいることもあるし、「誰かに届けばいいな、誰か『分かる』ってなる人がいればいいな」って思うから、お手紙的な要素はあるんじゃないかな、と。
こじま:私もそうかな、一緒かも。前に、「うわ、もうやめたい」と思った案件があって。なんで私がそう思ってたかというと、ほんまにその人に届けようと思ってる手紙じゃなかったからやなって、今気づいたかも。
おの:結局伝えたいことがあるかどうかなんやな。
こじま:そうやったと思った。うわー、自分でわかってなかった。どうにかこじつけて理由を作ろうとしてたねん。私たちが今、自分の音楽を信じてこられたのは、周りがどうじゃなくて、その人に届いてたからやと思った。届けたいと思ってたから。そこにしか自分の評価がなかったから。
おの:届けたいと思ってるし、嘘がないからやな。
こじま:だから心で歌ってたと覚えててくれたんやと思う。いいことを思い出させてくれてありがとう(笑)。今ブーメランがバーンと返ってきて、痛い痛い痛い……ってなってる。
私らがこんだけ続けてこれたのは、たった一人の誰かに、誰かに届いてるのがライブで確認できてたからやもんな。
おの:発信していることに対してレスポンスがライブで見えるから、続けてこられてる。
── 花*花のライブって、前で泣いてる人が結構いますよね。
おの:何かを受け取ったんだろうね、何があったんやろうなって。
こじま:めっちゃイカつそうなお兄ちゃんとかも号泣してたり、「何かあったんやな」って思う。
おの:でもそういうのを見せてもらえるっていうのが、素敵な仕事やと思うし、ありがたい。
柔軟であれば人生は楽しいかもしれないな
── 『GIRLS特区!!』は女性をフィーチャーしたサイトで、女性アーティストとして30年以上続けてきた中で、この音楽業界を女性ならではの視点で見たときに「こうなったらいいのに」とか、感じるものってありますか?アーティストとしてというよりも女性として。
こじま:この30年弱、業界にいて、今やりやすくなってるんちゃうかなと思う。性的な魅せ方みたいなものを売る・売らないじゃなくて、発信。それは男女関係なく、性別問わずできるような、「この人の売り」というときに、女を売りにしなくてもいいマーケティングにちょっとずつなってきてる。それは多分音楽だけじゃないんやろうけど。政治にしてもそうやし。社会的に同等かっていうと絶対ちゃうから。でもなんかだいぶやりようになってきたんちゃうかな、肌感としても感じるし。
おの:あとは諸先輩方がそれを作ってきてくれてる気はする、女性の先輩が。強い。
── ちなみにその「強い」って、一番最初に連想されるのは誰ですか?
おの:もう誰とかじゃない、出会った女性みんな割と強い。
こじま:しなやかで強くて可愛くて、意思をちゃんと持ってる人が多い。
おの:「私はこうです」みたいな。いろんな女性アーティストに出会ってるけど、先輩もそうやし、同じくらいの歳の人もそうやし、若い人も。ちゃんと残ってる人って強い気はする。嫌なもんは嫌、好きなことは好き、負けたくない、みたいな。
こじま:そんな強さを見ても男性のファンの人は「かなわんわ。こんなんいらんわ」って思わんくなってきたよな。
おの:見た目はすごく華奢で綺麗やし、女同士で喋ってたら強い。そうじゃないと多分やってこられへんかったんやと思う。
力が強いとかじゃなくて芯が強い感じ。ハートが。
── 逆に10代20代の女性に、「自分たちはこういうことを経験したけど、あなたたちはこんなん経験しなくていいよ」っていうことって?
こじま:うちらは特殊やからな。後輩たちに対しては、業界は大きいようで狭いから、違うジャンルの仕事をしている友達がいっぱいできた方が広がるんちゃうかな、と。もちろん幅広く音楽業界のいろんな先輩・後輩・同期もそうやけど、全然違う、役者さんとか芸人さんとかライターさんとか、いろんなジャンルの人と交わると思わぬヒントがもらえる。私はすごいもらえたなと思うから、もっと若いときからそれができてたら楽しかったなって。
おの:いろんなクリエイター、いろんなプロフェッショナルがいる業界やから、そこは面白い。ほんまにやりたいことがあったら、別にやめて違うことやってもいい。柔軟であることがより楽しいんじゃないかな、と。ヘアメイクさんもそうやし、カメラマンでも女性いるし。面白そうと思ったことをいっぱいやっちゃおうかな、って。アーティストってどうしても固執してしまうやん。「私アイドルやから、ずっとアイドルでいなきゃ」とか結構多いかもしれんけど、絶対歳とるし、年齢重ねたときに「私アイドルじゃなくなったら何もない」ってなる人、たぶん中にはいるかもしれない。柔軟であれば人生は楽しいかもしれないなって思いました。
こじま:面白いもんな、他の世界に入れるの。
これからの花*花── 30年に向けて
── もう締めに入るんですけど。今後の展望、30年に向けて、今やってみたいことってありますか?
こじま:さっき言ったのと全く一緒で、いろんなジャンルの人と。音楽以外のいろんな人と最近よくお話してるんやけど、お芝居とか映画とか、いろんな中の音楽担当として、いろんなプロフェッショナルな人たちと作っていく中の、花*花の音楽として、一緒にいろいろできたら面白いかな、と。
おの:だんだん自分たちが表に出なくてもいい、でも「あれは花*花っぽいよね」みたいなのも目指したい。楽曲提供も去年やらせてもらったし、楽曲とか作ったりして。
こじま:校歌を作ったりもしたし。
おの:昔は楽曲提供とかしたくないみたいな感じだったけど、そういう意味では私たちも柔軟になってきてるのかもしれない。50代から新しいことにチャレンジできることがあるならば、来いやーって思ってる。
こじま:そのチャレンジがもしかしたら失敗することもあるかもしれません。でもこれが私やということ。
おの:自分たちの音楽に対する確認みたいなものができましたね。
── 最後に、音楽のこととか生き方のことなんでもいいんですけど、世の中の女性に──男女関係なく、このサイトをこれから見てくれる人に対して、何かメッセージがあれば。
おの:面白いことを見つけながら年を取ることを恐れず。若い人はずっと「私たちはああはならない、おばさんにはならない」と思っているかもしれないけれど、なるねん、ちゃんと。私たちもそう思ってたかもしれないですね、若いときは。「親みたいになってきたな」って思うし。だからその時々、面白いことが一つでも多い方がいいんじゃないかなって思います。
こじま:私ははしゃいでいこう、って。いろいろやってきて、「私は私や」ということが、やっと胸張って言えるようになってきたかなと思うから、どういう場面においても「私は私です」っていう。
おの:でもずっといーちゃん言ってたやん。40代を作るのが30代、って。
こじま:うん。今のこの半世紀が積み重なった私やから、これを胸張らんと、過去の自分を否定することになる。今を大切に、ってことやな。今が面白いと、先はもっと面白くなるはずだ。楽しんでいきましょう。

Interview / Photo:柴 正明